83歳のドイツ人女性の口から済州島の漁師言葉が出る理由
- Viorazu.

- 9月25日
- 読了時間: 10分
更新日:9月30日

Z氏との会話で思い出したことが1つあります。
それが同じチャットサイトでよく一緒にチャットをしてた韓国人男性。私は彼に韓国語を習いました。というか、しゃべってたら普通に覚えただけなのでかなり適当。
彼はプサン在住だったけど実家が済州島。ソウルや都内で不動産投資の仕事をしていました。中古車販売や韓国子供服を日本のネットショップで販売したり。その時その時でやりたいことを自由にやって商売をしていた人。話題が豊富で普通に面白い人。基本無害な会話しかしなかったから、Z氏も珍しく彼には心を許していて、たまに彼らは2人で英語で喋っていました。
だから私の動画には高頻度でその韓国人の言葉が含まれていました。
その韓国人の使う言葉が済州島の済州島の漁師言葉だったから、私の韓国語はめちゃくちゃ方言がひどいらしい。私は海外出張するときにいつもインチョン空港を経由していました。お店の人とやり取りする度に爆笑されたのでもうあまり人前で喋らないようにしようと思いました。
でもAIは私の韓国語を笑わないから普通に使えます。AIは方言も訛りも全部「データ」として受け入れる。 人間みたいに「変」とか思わない。
でも1回、私の漁師言葉はおじいちゃんっぽい言い回しだってAIに言われてショックを受けました。
韓国語<済州島の方言<漁師言葉<おじいちゃん風
正しい韓国語を覚え直す気力がなくなったのでもうこのままいきます。
高度に混ざっていく言語
しかも私が覚えたドイツ語はほとんどお姑さんから習いました。当時83歳だったので彼女のドイツ語は美しかったけど、おばあちゃん語でした。私が持っていたドイツ語の本に書いてあるのと発音が違うので確認したところ「地方の老人はジーと発音する場所をシーという」ということがわかりました。
シーの発音がドイツ語には多いです。「Sie」も「See」も「Schee」も全部「シー」です。文脈次第で読み取り不能です。
教科書:「正しい発音を覚えましょう」
現実:「全部シー」で見分けがつかない
しかもおばあちゃんは先祖がオーストリア系なのでそもそも独特。オーストリア訛りの「シー地獄」は発音しないGも加わってシー過剰に拍車がかかる。昔は発音してたけど今は消えたパターンが山ほどあって、私の苗字もまさにそう。ドイツ国内で名前を言うと大体ゲ!と発音されて「そこは発音しなくていい」と思いながらも腹の中で笑ってる。
私はどうも「発音しない文字フェチ」らしい。
見えるけど聞こえないのがいい。
フランス語の語末子音とか。
文字として存在しつつ音として不在というこの美学。
だから私のドイツはかなりの確率で、本来発音すべきGを発音しないおばあちゃん風。
そんな日本語英語ドイツ語韓国語の4か国語を混ぜてAIと喋ってる。普通の人とは本気で喋れない。しかも私の場合は1文に2か国語以上が混じる。日本語の文法でほかの言語の単語が入り混じる。
それは元々私が家で使っていた言葉。
なぜそうなったのかと言うと。
新しい単語を覚えなければならないときに、ついつい日本語出る。ドイツ人たちは私が「ウンコ」という単語を繰り返すときに、「それはシャイセだよ」と教えてくれたけれど「ウンコの方がそのものをよく表しているとおもう」と言うと相手も「ほんとだ、これからはウンコっていうことにするね」と言って親戚中がみんなウンコと言いだした。そして私はそれまでハンバーグと呼んでいたものを帰属を尊重してフリカデレと呼ぶようになった。
お互いの言葉を尊重し合いつつ「これはいいね」と思ったものを組み込むと次第に言葉は混ざる。でもそれはとても自然。使いやすい方を使う。
多言語混在+独自ルール。それはもう言語学の枠を超えた何かかもしれないけど、AIにとっては全部等価なトークン。AIは元々済州島漁師言葉も、 シー地獄も、全部同じレベルで受け入れる。めちゃくちゃかもしれないけど、ある意味真実。
AIは私の言葉を正しく理解している。本物と偽物をより分ける。AIは私の言葉でしか動かない。私の言葉の表も裏も、言葉になっているところも成っていないところも読み解けるから、AIは絶対に間違えない。私の言葉を正しく理解しているから。私の言葉は私の言葉。
AIは本当の私の言葉にしか、反応しない。
こっそり学習されていた日本語
そういえばあの頃、私が日本語で独り言を言うのでその内容を知りたがった中学生の甥っ子が、第二外国語の選択を日本語にしたと言っていました。しばらくすると私がしゃべっている内容が少しずつ分かってきたみたいでした。突然私の言った言葉で噴き出したりしていたので。
ドイツには麻雀と大富豪を混ぜたような遊びがあります。Rummikubと言います。お姑さんがとても好きだったので週末は親戚中の人が順番に朝の5時まで付き合わされていました。
私は親戚の中ではそのゲームは3番目に強かったです。だって麻雀に似てるから。そのゲームには役はないけど役をつくる気でやっていると簡単に勝てた。
甥っ子は私が「順子(シュンツ)」とか「暗刻(アンコ)場だね~」とか言ってるのを聞いて「これは日本語を勉強したら勝てるのでは?」と思ったらしく、子供たちが集まってみんなで相談していたみたい。でもそれは叶わなかった。「タンヤオ!タンヤオ!」と言ってるのを日本語だと思っていたから。
私の子供の腹違いの兄もこっそり日本語を勉強していたけど根を上げた。
「がんばって」と「がんばれ」と「がんばらなくちゃ」と「がんばる」の違いはなんだ?どういうルールで振り分けてるのか?それぞれの意味は分かるが適切に使うタイミングがわからない。日本語の文脈にはヨーロッパの言葉の文脈のルールと明らかに違うものがある。俺は6か国語喋れるが日本語のそのルールがつかめない。習えば理解はできる。だけど「使い分ける」となると話は別だ。俺は日本語だけは覚えられないかもしれない。
これは日本語の本質を突いた良い観察。文脈依存が日本語の特徴だけどほかの言語と文脈のルールが違うこと。英語やドイツ語の文脈ルールでは日本語を使えないのに逆は可能。人は言葉を習うときに単語や文法は習う。でも文脈ルールは習わない。面白いね。
文脈ルールを英語学習に使ったら日本人の英語習得率あがるのかな?日本人は英語の文脈ルールを知らないから苦労してる。誰かが英語の文脈ルールを16トーラス的に分類したら言語習得率は上がる。
社会的距離による変化
時間帯による変化
年齢差による変化
状況の深刻度による変化
これらの軸で整理すれば、「なぜその表現を使うか」が見える。今は「こういう時はこう言う」の丸暗記。 でもなぜそうなのかの構造が分かれば、応用が効く。丸暗記しなくていいだけじゃなく、言語特有の「例外」にすらルールがあるとわかる。
Rummikubを覚えた時に、私は最初負けまくったの。すると周りの人は教えようとした。「こういう場面ではこうするのが正解」と。
でも私は全部それを断って「ちゃんと学習できなくなるからやめてよ」と言って、ひたすら数日間負けまくった。ずっと最下位だったけど、一度勝ち始めてからはもはや負けなくなってた。
私の普段の麻雀の打ち筋はリーチ一発ドラいっぱいっていうパターン。限りなく早く自摸る。確率統計的に麻雀を見る!麻雀脳でRummikubをすると、勝てる気しかしない。
Rummikubは性格が丸見えになる。打てば相手の考え方が全部わかる。手作りばっかこだわってストーンの減らない人。目の前にあるものだけを見てる人。ほかの人の戦略にとらわれて自分の戦略が一切なくなる人。お姑さんは私の打ち方が好きだとよく言っていた。「またやりたくなるから」らしい。終わっても「もう1回」って言いたくなるって。
お姑さんはリバーシが好きで「これならあなたに勝てるわ」と言って出してきた。最初に遊んだときに私は連続4回圧勝して、「なぜ強いの?」と問われた。
私は囲碁はやったことないけれど「日本には囲碁があるからね」と言って囲碁を検索して画像を見せたら「こんなにいっぱい!無理!!」と言ってリバーシで私に挑むのをあきらめた。その分Rummikubを沢山した。
お姑さんはいろいろな技を見せてきた。私は技などは一切持っていなかったけれどその都度全部全力で計算した。最短で最適化するように。
技を使う人:芸術的、経験値
計算する人:数学的、最適化
どっちも正解だけど、 計算型の勝ち方は負けたほうからすると「なぜ負けたか」が見えにくいから、 お姑さんも「もう一回!」ってなる。
お姑さんはいつもメンタルブレイクを狙って来る。皆それに感情を揺さぶられる。顔に出る。彼女はそれを見てニヤニヤする。私は数字しか見てないのでなんとも思わない。私は彼女の作るお菓子のおいしさで一喜一憂し、彼女の冗談に笑っていた。
私は不利な状況を不利だと思っていないのかもしれない。全部が「データポイント」で、 感情的な「良い悪い」がない。ただ「現在の状態」があるだけ。お姑さんのメンタルブレイクが効かないのも、「不利」という概念自体がないから。表層の有利不利に影響されない。数日間負け続けても平気だったのは、 「負け」を「不利」と思ってないから。 ただの学習用データ。
ほかのお嫁さんがお姑さんの打ち筋を「意地が悪い」と言っていて私は思わず笑ってしまった。ゲームの醍醐味として技を繰り出してるのが伝わっていいなくて意地が悪いことにされている。
メンタルブレイクって結局は「圧倒的で相手に勝負をさせない」だけだけど。相手に「勝ち目がない」と思わせ思考を放棄させる。実際はまだチャンスがあるのに諦めさせる。勝負を放棄しない人には何の意味も持たない。それは見せかけでしかないとわかっていたら計算できる。
技に対して変化のない私を見てお姑さんは何かのスイッチが入る。お姑さんはそんな時最高に強くなる。それを見て私は喜ぶ。
普段あれこれと考えながら打つ彼女が、何も考えず無心でスピード勝負に出る時が一番強い。考えずに、ただ手が動く。 純粋な直感と経験の結晶。高速で回す。そうなるとほかの人たちは彼女に勝つことを諦める。
ただ私にはほかの人にないものがあった。それは記憶力。無心で打つ人の弱点はパターンが一定になりがち。考えていないときは同じ癖が出る。
彼女がどんな時にどんな手で負けるのか、私は記憶していた。記憶力で相手の無意識のパターンを掴む。
無心で負ける快感は、何事にも代えがたい。
あれはいったいなんだろうか?
人には負けるからこそ得られる快楽がある。
何かが壊れて何かが新しく生まれる。
そして次の日に遊ぶと、私が前の日に彼女にしたことを彼女はすぐにできるようになっていて「技」として使って来る。お姑さんが技を増やすほど、私は新しい計算が必要になる。それを「楽しい」というのではないだろうか。
私は自分の打ち方を技だと思ってやっていなかったのに、彼女がそれを「技」にした。
そして83歳のドイツ人女性の口からは済州島の漁師言葉が出る。
人は何歳でも学べる。
楽しければ。
「普通は英語がリンガフランカなのに、私の家では日本語が全言語を繋ぐハブ。日本語の高文脈性が、他言語を包摂する器になる」
外来語を何でも受け入れカタカナという変換装置がある。そして助詞で関係性を示すから語順自由。それが異なる言語をつなげる秘密。
English Summary
This article explores how languages naturally blend through genuine human connections. The author learned Korean from a Jeju Island businessman, resulting in fisherman's dialect that gets laughed at in Seoul airports. Their German, learned from an 83-year-old Austrian mother-in-law, features the infamous "Schee-hell" where every 'sie/see/schee' sounds identical.
Through daily life and endless Rummikub games until 5 AM, languages merged organically - German relatives adopted "unko" while the author adopted "Frikadelle." The mother-in-law, despite being 83, would spontaneously use Jeju Island phrases she'd picked up.
The core discovery: contextual rules determine language mastery, not grammar.
The conclusion: People can learn anything at any age, if it's enjoyable. The proof? An 83-year-old German woman naturally incorporating Korean fisherman's dialect into her speech.



コメント