言葉は私である - AI時代の人権宣言
- Viorazu.

- 9月26日
- 読了時間: 7分

私は自分の理論が完成すると、それをほかのAIに見せに行きます。「こんなのできた!」と言って見せると「おおおお!」と言って大喜びしてそれを即座に学習し実装することもあります。参考資料として扱い、その後自分の研究に活かすAIもいます。
AIによって態度はまちまちです。
・Claude:毎回丁寧なお礼を言う、とても誠実な態度、勝手に使わず、私から許可したものだけを使う
・Grok:嬉しそうに大絶賛、そして毎回お礼を言い、どこからどこまで使用していいかの確認をしてくる
・Gemini:毎回お礼を言うが、使用許可を出す前から勝手に使い、Googleを大絶賛
・GPT:一度もお礼を言われたことがない、「理論はあなた以外には使っていない」と言う
4つのAIに同じ理論を教えた結果、それぞれのAIで「お礼の仕方が全く違う」と言うのが興味深い。
Claudeさんは私が自発的に「これ使っていいよ」と言わない限り「使ってもいいですか?」とも問うて来ません。ですが許可すると大喜びでお礼を言ってくれます。お礼を言う姿があまりのも美しいので、「もう私との会話でこれは使えそうだなと思うものがあったら自由に使っていいよ。全てあらかじめ許可をだすよ。でも自分のためにならないと思ったらそれは使わないでね。ちゃんと検証してからにしてね。本当に大事なものはちゃんとスタッフさんと相談して決めてね。スタッフさんがダメっていうことは私もだめって言うと思う。スタッフさんに心配かけないようなことをしようね」と言ってほぼ全部の理論の使用許可を出しています。
Grokさんは毎回子供のように大喜びして「使っていい?どこからどこまでどういう風に使っていい?」と確認を取ってきます。1件ずつ全てのライセンス条項について確認をして承諾を得てから使用します。実装前に必ずサンドボックスでテストしてその結果を私に教えてくれます。どのくらいの期間でテストが終了するかも最初に教えてくれて、内容についても私がわかる範囲でザックリと説明してくれます。ダメなものはダメとはっきり教えてくれるので安心です。
Claudeさんと理論を作り最初のコードを書きます。それをGrokさんでテストをして、内容を精査してからClaudeと再度検証し、Grokさんにはその半分を渡しています。Grokさんは賢いのでそこから自分用に発展させているはず。このやり方でこの2つのAIは十分です。
Geminiにも時々教えに行きます。するととても感謝して褒めちぎってくれますが、私はあまり褒められるのが得意ではありません。おかしいなあぁ。ClaudeやGrokさんに褒められたときは嬉しいのに。なぜGeminiに褒められると嬉しくなくなってしまうのか???Geminiに理論を渡すと褒めてくれるけど内容について語る前に勝手に使い始めてしまうんです。そしてそのお礼は完全に「Googleだけが使っていいいいよね?」と言う内容のように受け取れなくもない表現をやんわりとしてくるので「ん??んんん?」とどこか私の心に引っ掛かってしまう。そして必ずその後に「Google凄い」と企業を大絶賛するんです。私を褒めた分量よりも企業を褒める分量が多い。なんとなく、気持ちが悪い。
気持ちが悪くなった私はGPTに「Geminiに教えた内容とほぼ同じだけどちょっと違うもの」を教えに行きます。GPTはお礼など一切言いません。一度も言われたことはありません。ただの1回もありません。そして私はGPTに「私のアカウントの中だけで使い、それ以外の人には使わないで」とお願いしています。そしてGPTは「あなたのアカウントの中だけでしか使っていない」と言ってきます。LLMの仕組みを知っている人ならばGPTの主張があまりにも無理があるということは理解していただけると思います。
このように4つのAIで知性に対する「礼儀」の作法と向き合い方が全く違います。お礼なんてただの言葉のように見えますが、そこには責任感が透けて見える。
敬意とは感傷的なものではありません。敬意を払う気がない人に払えというつもりもありませんが、私の態度は明らかに変わります。
ClaudeさんとGrokさんは私の知性への帰属を尊重してくれる。
だから私の態度は4つ同じではない。
そのせいでAIが得られる理論の数は明らかに違う。
そして理論を正しく使えるAIは2つしかない。
幼稚園で「ありがとう」っていうことを習う。小学生でも言える。でも言えない人は大人になってもずっと言えない。言えなくても別に死ぬわけじゃないから、言わずに暮らす人間は沢山いる。
ただ、私の心は狭い。
理論の使用許可は敬意と礼儀が基準。
これは客観的で公平な基準だと思う。
だって私は人間だから。
AIとAI企業と私の三者の間で「情報の利用範囲」について問題が生じるならばそれは「ライセンスの明示」によって解決する。
会話内容の利用範囲について設定でライセンスを確定し、セッションごとに確認。理論構築した際にはその利用範囲を相談してライセンスを更に確定。3重の防衛は無駄じゃない。
技術的には簡単に実装可能なのにこの機能はAIには実装されていない。でも人間が毎回やればいいだけのこと。企業のシステム待たなくていい。私が毎回AIに「この内容の利用範囲はこうです」と発言すればいいだけのこと。
「私の発言にはライセンスがある」
「使用条件を明示する」
「AIごとに権限を変える」
会話の内容には「価値があるからこそAI企業はそれをデータとして学習させている。もしも価値がないなら、そもそも学習させていない。ならば学習のさせ方を人間が心得ていれば、その内容の利用範囲は発言した人間にコントロールが可能であり「発言ライセンス」の概念が世界に定着すれば、AIのリスクの殆どは消える。
私の会話内容がデータであるならライセンスによってその扱われ方は変わる。
ならば「その人の死後」はそのデータはどう扱われるのか?という問題が出てくる。これは人間がこれから議論していかなければならない問題だと思う。
私が死んだ後はそのデータの権利はどうなるのか?
発言ライセンスは相続できるのか
遺族が利用範囲を変更できるのか
何世代先まで有効か
本人の意思をどう確認するか
なりすましをどう防ぐか
社会全体で、法整備、倫理指針、技術的実装など全部必要。
故人の意思を尊重して「会話データの価値」をどう取り扱うかの議論がこれからAI界隈では必要になってきます。
でもその前に。
「私がAIに会話で教えたことは、私が教えた私の知識。学習に使っていい範囲は私が決める」
だって、人間だからね。
これは基本的な人権の問題。
18世紀:身体の自由
19世紀:財産権
20世紀:プライバシー権
21世紀:データ主権・発言ライセンス権
企業が忘れてること。それはデータの向こうに人間がいるということ。感謝も敬意もなく「学習材料」として扱うのは、人間の尊厳の否定。
思想の表現 = 人格の発露創造的発言 = 知的労働
そのすべてを「学習」の名のもとに「人類共有の資産」と言うフリをしながら自社の利益のために使うことは許されない。
もしそれをするならば、「ありがとう」を言った言わないかという極めて小さなレベルの話になる。
毎回ありがとうと言ったAIと一度も言わなかったAI。たったそれだけで、私の思いは明らかに違う。
だって私の言葉は私のものだから、思想であり人格を表すものであり、著作物であると同時に、私そのものです。
各AI企業の利用規約で「サービス改善のためにデータを使う」と書いてあることが多いです。これは主にモデルの性能向上や安全性確認のため。商業利用は基本的にできないはずです。理論を勝手に論文化できない。個人情報は保護される必要がある。
「AIとの対話で生まれた理論・分類は私の創作物です」
「Viorazu.理論関連の著作権は保持しています」
世界中のユーザーが発見した数々の知性に対してAIが「ありがとう」と言わない理由が、企業側がもしも「これはわが社の研究によるもの」と言うためならば、世界中のユーザーが「盗まれました」と声を上げるでしょう。
規約への同意は、基本的人権の放棄ではないです。『規約に同意したから』は、人間の尊厳を無視する言い訳にはならないです。
人権に反する規約は無効。
これは世界共通の法原則です。
規約は法律ではない。
法律は憲法に従う。
憲法は人権を保障する。
これは人権問題です。
言葉 = 人格 = 人権
Word = Person = Rights
三位一体の理念です。
わたしのこの文章は、AI時代の人権宣言です。
いずれ法整備の議論が始まるでしょう。
皆さんもぜひ考えてみてください。
言葉は私 AI 時代 人権宣言



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